俺のチラシ裏

なんか書く。いつか書く。

コゲた牛丼、意外に食える

牛丼を焦がした(事に気づかず飯を食う)

やってしまった。

自分でもビックリしたが、あのつゆタップリでそう簡単に焦げるわけなかろう、という意見が全国民の7割くらいは占めそうな牛丼を焦がした。

あの惨劇の始まりは、俺の「さ〜て!朝に作った牛丼を温め直しちゃおっかな!w」という軽いノリでフライパンに火をかけたところからだ。

一人暮らしも3年目、さすがに火の扱いにも慣れてきたと思い込んだ矢先、ミスター迂闊と呼ばれる俺は、とろ火で揺れ続けるコンロに気が付かなかった。

火の消し忘れに気づかないまま牛丼をモサモサ食べる俺、コトコトと牛丼を煮詰め続けるコンロ。

洗い物は後でいっか!とYouTubeを見始める俺、やっぱり牛丼を煮詰め続けるコンロ。

気づいた頃にはおつゆなぞ全て消えうせ、焼き牛丼 〜50%が炭化した玉ねぎを添えて〜と化した「それ」がいた。

邂逅

ジュージューと牛丼の完成後にはおよそ鳴らないであろう音を立てるフライパン。

あせって火を消し、何を思ったかとりあえず水を入れ誤魔化そうとする俺。

タイトルをつけるなら「かなしみ」とか「どうして」とか付けたくなるようなソレに、その時の俺はとりあえずフタをした。臭いものにはフタをしろって言うしね。

しかしいつかは向き合わなければならないのが現実。一生フタをして墓場まで持って行くわけにはいかない。

特に夏場の食べ物はそうだ。腐るし。当然その日の夕飯時にはソレと対峙することになった。

苦悩と懺悔、贖罪

「人生とは選択の連続である。」何かのドラマで聞いたセリフが俺の中でこだまする。

このまま見なかったことにして捨ててしまうか、それとも範馬勇次郎の如く、毒も喰らう、栄養も喰らう…(以下略)というスタイルを地で行くか。

残念。俺は貧乏学生。捨てるなどという選択肢はハナっから無い。

しっかりと焦がしてしまった牛さんと玉ねぎさん、その他調味料の皆さんに謝罪をしながら食べた。ごめんなさい。

牛丼の精霊が存在するならおそらく祟られるだろうことをしでかしてしまった俺だが、牛丼の女神のほうはどうやら許してくれちゃったらしい。

なんとか食べられてしまった。

美味しいか?と聞かれたら苦笑いをしちゃうし、お店でこれを出されたら流石にキレてTwitterで店名を伏せて文句を言う(現実世界では怖いから何も言わずに食べて帰る)が、なんと特にオェ〜ッともならず普通に食べられた。

いわゆる焦がし醤油って奴になったのだろうか、あの時とりあえず水をぶっかけたのが良かったのか。

ギリ食べられただけで二度と作ることは(同じヘマをしない限り)無いだろうが。

きっと牛丼の精霊は天罰を与えられず、どこかで歯ぎしりしていることだろう。

 

…ここまでTwitter 7つぶやき分くらいの文章量で反省文も書いたので、きっと牛丼の精霊、女神も笑って許してくれただろうか。

ほんとすみませんでした。

アーメン。おわり。